この春から
息子が卒業して久しい中学校の施錠確認をしています。
PTAだったこともあり、家が中学から近いこともあり。
まあそれは前置きとして、
ある日図書室に入って窓を確認しようとして目に入った詩の本のコーナー。
長田弘の詩集があり、好きな詩があるので手に取り、パラパラとめくったページのとある詩が。
なんとなくRASで言いたいことが重なっている気がして。
自分の言葉は自分で真っ直ぐに。
そうすれば真っ直ぐに届きます。
とかつて師匠に言われたことを思い出したり。
「言葉」を「感情」に置き換えたら、
まるで本来の自分との向き合い方のように思えたり。
誰かと比べることはしなくてよいのだ、と言われているような気もしたり。
何よりも
今の時代、たくさんの情報がある中で
自分の芯を持って言葉を発信するのが
大事なのではないかな、と。
貼り付けてみます。
あなたの心のどこがが動かされませんか?
言葉のダシのとりかた
長田弘
かつおぶしじゃない。
まず言葉をえらぶ。
太くてよく乾いた言葉をえらぶ。
はじめに言葉の表面の
カビをたわしでさっぱりと落とす。
血合いの黒い部分から、
言葉を正しく削ってゆく。
言葉が透きとおってくるまで削る。
つぎに意味をえらぶ。
厚みのある意味をえらぶ。
鍋に水を入れて強火にかけて、
意味をゆっくりと沈める。
意味を浮きあがらせないようにして
沸騰寸前サッと掬いとる。
それから削った言葉を入れる。
言葉が鍋のなかで踊りだし、
言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら
掬ってすくって捨てる。
鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら
火を止めて、あとは
黙って言葉を漉しとるのだ。
言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。
それが言葉の一番ダシだ。
言葉の本当の味だ。
だが、まちがえてはいけない。
他人の言葉はダシにはつかえない。
いつでも自分の言葉をつかわねばならない。
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